昨日の続きです。塾で「考える力をつける」「自主性を養う」「自立する」ことが可能でしょうか? そして、それって、そもそも塾の仕事なんでしょうか。
さて、「考える」とは、どういうことなのでしょうか?
また、「自分で」「自分の頭で」は当然です。他人が考えるわけではありません。勉強するとき、問題を解くとき生徒さん本人が考えます。それらの言葉をつけると、何か格好いいというか、すごく感じるだけな気がします。
「考える」とは
1 知識や経験などに基づいて、筋道を立てて頭を働かせる。
2 関係する事柄や事情について、あれこれと思いをめぐらす。
3 工夫する。工夫してつくり出す。
2は「思う」と重なり、勉強とは少し離れます。進路をどうしようか、どういうふうに勉強しようかと全く無関係ではないですが。
1がまさに、勉強することと一致しますね。まず、「知識や経験」は塾でも、各単元の導入で解説します。また、暗記事項として、テストをして定着させます。
そして、「筋道を立てて」は問題の解き方などを、塾で助けて解けるように練習します。そこで手助けしすぎると、生徒さん自身が解く力がつきにくくはなります。これが、「考える」力を養う?
「考える力をつける」が凄そうで、多くの塾のうたい文句になるのは、3なのかなと思います。ここは、別に考察すべきですね。
「考える」=「勉強」?
何だ…勉強するを、格好よく「考える」と言っているだけですね。「考える力を養う」は、塾で勉強して学力をつけますよ、テストでできるようにしますよと同じです。
勉強(テスト、入試)は、元からある知識を覚えているか、またそれらを使って問題を解けるかです。3のように、何もないところから答えを探すこともなくはないです。
しかし、勉強はしょせん詰め込みです。今後、入試を中心に変わるかもしれませんが。
それならば、「自分の頭で」「自力で」「自立して」は自分で勉強するということですね。勉強をするのは本人で当たり前です。1の過程を、自分でできるようにする、と。
最終的には、自学自習できるようにする。塾は、そこまでの手助けということでしょうか。…それならば、「自立学習」の塾は? 自主性を尊重して、学習を進めますとは?
どこか矛盾しているような…。「自立学習」できるまで指導して、管理するのが塾の仕事ですよね。少し話がそれますが、「勉強の仕方を教える」もよく聞きますが、それは指導することと同意で、当然ですよね。
混乱したところで、今日はここまでです。「考える」を3まで含めると、話は壮大になります。このシリーズは結論出ないかも…