教えない~序

「教えない」

これは深すぎるテーマです。今日はさわりだけを…

塾では「教える」ことが仕事で、「教えない」ってどういうこと?となりますよね。

懇切丁寧に手取り足取り教えると、その場では分かった気になるが、解けるようにはならない。時間が経つと忘れてしまう。自分の頭で考えることができなくなる。といったところでしょうか。

確かに、実際に指導していて「教えすぎ」の弊害は強く感じます。先回りして解説することで、生徒さん自身が考える道筋をふさいでしまう。

分かりやすく教えれば教えるほど、生徒さんは自力で解けなくなる。本当の学力はつかない。

そこで、ヒントを与える、後で確認する、説明させる、板書は写させないで後で自力で解かせるなど、弊害を防ぐ方法はいくつもあります。

ただ、話はそんな単純なことではなく、もっと根本的なところにある気がします。一言で「教える」と言っても、何を教えるのか、何を考えさせるのか、解けるようにするために教えないのか、教えるを含めて指導が何なのか、全部をごちゃ混ぜにして二元論で「教えるな!!」は乱暴です。

その根本的なことの結論は、また後日にします(もったいぶってすみません)。

私個人としては、塾は「教える」ことが仕事で、「教えない」は完全な仕事放棄だと思います。もちろん「教えすぎ」は留意すべきです。最終目標は「解けるようになる」ですから。

しかし、横にべったりついて、分かりやすく丁寧に教えるのは、自分で考えられなくなるから良くないと全否定はどうでしょうか? 人間ってそれで考えられなくなるくらい、単純な生き物でしょうか? 塾がない日に、家で復習して自分で解ければ良くないですか?

この「教えない」、塾の仕事を始めて何年かすると、かぶれる人が多いですね。私もそうでした(笑)。そして、不思議ですが、一周回るのか、何十年と指導された先生がそこに行きつくケースが多いように感じます。それも私は経験済みです(笑)。

勤めていた塾で、この2つのケースが同時に発生した奇跡を目撃しました。

若い先生が、答え合わせしたあとに、生徒さんに「答えを聞くだけ、写すだけでは意味ない。自分の頭で考えて、解けないと意味ない」とこんこんと語っていました。私は、熱いなあ、昔は自分もそうだったなあと懐かしく目を細めます。

すると、大ベテランの先生がそれを大絶賛して、「教えてもらってはいけない、自分で解け」となり、何かカルト集団のような雰囲気に…

怖っ…と身震いしていると、その先生が私を名指しにして「清水先生に答え教えてもらうのでは力はつかない」と言い出し、その後も私は皆の前で罵倒されます。

まあ「教えない」も正しいいです。今日は、もう生徒さんも来る時間なのでここまで。教えずに考えさせます。

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