勉強を水泳にたとえる

勉強を水泳にたとえる

 

今回は「勉強を水泳にたとえる」です。

塾の指導を水泳に例えます。ただ、その例えが正しいかはあやしいです。

今回はお遊びの記事ということでご了承ください。

陸で泳ぎ方を教える

塾講師になって指導の初期の段階では、教えてもできるようにならないと感じます。すなわち、その場でわかっても解けるようにならない。

そのジレンマのときに、なぜか水泳を思い浮かべました。

机上で泳ぎ方を講義しているだけでは、実際に水に入って泳げません。

例えば、クロールの泳法を理論的にくどくど教えます。そして、陸で手を回してやってみます。また、息継ぎのタイミングと方法もします。

なるほどクロールはこうやって泳ぐのか。分かった!!となり終わり。

塾の指導もこの段階で終わってるのではないかと想像しました。

水に入ってみる

ですから、まずは水に入りましょう。

最初は顔を水につけて慣れます。そして、息継ぎをそこで練習するとしましょう。

次は水に浮かびましょうか。自分で浮いてみる。そして、バタ足で進んでみましょう。そのとき、誰かに手を引いてもらうか、ビート盤の補助で進みます。

という風に、段階を踏んで指導して泳げるようになります。

誘導したり、ヒントを出したり、…講師も工夫を使用とします。

あるいは、生徒はすでに自然に海や川で体験していて、途中段階までいっている場合もあります。

それも含めて、勉強と似ているなと感じます。ただ、勉強の場合、どこの段階なのか見極めが難しいです。さらに、指導の仕方も様々でミスマッチも起きやすいです。

当然、個人差もかなりあります。

水に突き落とす

塾講師の初期段階で、教えるだけではできるようにならないと感じます。そこで、一方的に教えるだけではなく、生徒に考えさせようとなります。

そして、多くの人が「教えない」病にハマります。さらには、なぜか塾講師で高齢の方は、最終的にここにたどり着くケースが割と見られます。

当ブログでも「教えない」シリーズなど、何度か取り上げてました。

教えない~序

そこに巻き込まれた私は、「教えるな」「考えさせろ」「答えをすぐに言うな」「あなたが生徒の代わりに解いているだけ」と罵声…いえご指摘を受けます。

まあ、間違ってはないですけど…。

そのとき私が感じたことは、なぜか水泳にたとえて「水に突き落としてる」です。

何人かどうしていいか分からず、盛大に溺れていました。しかも、勉強では溺れている姿が目立たず見えにくいです。

生徒を放置して「教えない」講師は誇らしげな顔をしています。溺れてるって…

速く泳げるようになる

水泳の選手になり、タイムを縮める段階でもコーチがいます。

練習メニューを組んだり、泳ぎ方を指導したり、色々研究したり、話し合ったり。

勉強における塾講師も、そのような伴走や指導、管理の役割を担います。

そういった選手を育てるのは、泳ぎを覚える初期段階とは当然違います。別々の指導になります。ただ、同じプールでしていますね。

それらも塾と似ているような…。

クラス分けが必要と感じたり、塾で勉強を強制的にさせる必要性。そして、何をどのようにどれだけどのくらいするのかの選定。

当たり前ですが、塾はかなりの専門性が求められるはずです。ところが、私を含めて多くの塾講師は自己流で、素人で…悪口になるのでやめます。

 

生徒自らが「泳げる」ようになるにはと考えます。そして、今どれくらいできるかの見極めと、導きが必要とも。

さらに、一番はやる気というモチベーションでしょうか。

今回はよくわからないたとえでした。次は、塾をジムにたとえましょうか。