最近、指導していて、「間違ってもいい」ではないかと思います。間違える、失敗する、寄り道をする、挫折をする。その時は遠回りでも、得るものがあるのではないか。
塾の指導は、まぎれなく正解を求める?
塾での指導は、正しいことをストレートに追い求めます。何度も間違えると、時間もかかり効率が悪くなります。また、間違えて正解が出ないと、分かりにくいということにもなります。
しかし、あまり考えずに正解を知ると、定着が弱いように感じます。難しい途中の過程を省略したり、覚えるという行為が削られます。
塾での限られた指導時間内では、効率の良さを求めるのは当然です。一方、間違えながらも、勉強時間をかけて身につけていくのは、家庭学習に頼りがちです。
私自身は、答えをシンプルに求める時と、間違ってもいいから考えてもらう時を、その場で判断します。ですから、時には答えを教えずに、とことん考えてもらうこともあります。
そして、時間はかかっても、何度間違えても、自力で答えにたどりつくことで力もつきます。当塾は、学習時間が長いので、できることですが実際には難しく、悩みます。
塾での指導が、勉強の本質から外れているのでは、と感じることもあります。勉強は、一人でするもので、間違えながら身につけていくものではないか。それを塾でも、少しでも実践したいです。
間違ってもいい。できなくてもいい。
「失敗は成功の母」と言います。私自身の勉強は、中学2年生くらいまでは順調でしたが、それ以降は、挫折の連続でした。
一番は、勉強する意味が分からなくなったことが原因です。成績が落ち始めると、ただ苦痛になり、ますます苦しくなりました。
それでも、一人でもがき苦しんだことに悔いはないです。結果的には、志望大学に合格できましたが、結果はあまり重要ではありません。当時は、塾・予備校にもほぼ行かず、ネットも動画もありません。
自分の精神をどうコントロールするのか。やりたくない勉強とどう向き合うのか。ついには、志望大学に合格するのは、どう勉強するのか。人には一切相談しない性格で、すべて自分で考えます。
何度も失敗して、遠回りもしましたが、そのことが悪いとは思いません。例えば、今の時代に受験生だったとして、どこかの超管理塾に行ったとしても、満足しなかったのでは。
その結果、勉強ができなくて、大学に合格できなかったとしても、そこは問題ではないと感じます。間違えながらも、試行錯誤を繰り返して、取り組むことが大切なのではないか。
もちろん、塾では違います。塾では、結果を追い求めます。志望大学に不合格しても、努力した途中経過が大事だよねとか言えません。経過が大事なのは正しいですが、お前が言うなよということです。
最短ルートはない
勉強のしかたにしても、塾の指導にしても、最短ルートはありません。そんなものがあれば、皆それを実行します。すると、世の中の塾はなくなるでしょう。
10時間勉強するのを、9時間にして、少し効率よくする。その程度の方法に過ぎません。それに、自分自身に合ったやり方は、なかなか見つかりません。世に出回る勉強法は、万人向けではありません。ほとんどが上位向けです。
あまりにも効率を求めたり、正解だけを求めると行き詰ります。間違ってもいいのです。失敗してもいいです。それらは、勉強にとどまらず、人間を強くします。
