「高校数学は努力でできるのか」という疑問に対しての答えは明確です。それは「人による」です。以前にも「高校数学は才能?」という題で取り上げました。
才能の幅や種類は、人により差が大きく、誰でも努力でできるとは言えません。それに、一言に高校数学といっても、どこまでできるようになるかにもよります。難関大学の入試問題レベルなのか、共通テストで5割とるのか、高校の定期テストでできるのか…。
ですから、何となく漠然と「高校数学は努力でできるか」「高校数学に才能が必要か」を論じても、無意味です。個別に、目標と学習状況と、才能に応じて、考えていくべきです。
とはいえ、努力してもムダではないし、努力しないとできるようにならない。と切り返しがあります。だから、塾の先生とかは、安易に「解き方を覚えて、練習すればできるようになる」と言います。それは、半分正解ですが、そんなに甘くはありません。
努力すべきなのは当たり前
どんなに才能があっても、全く数学に触れなければ、できるようにはなりません。ですから、数学ができるようになるのは、努力は絶対に必要です。
そして、残念ながら、数学には才能が大きく関わります。その才能があるのかどうかは、努力しないと分かりません。さらに、その才能を伸ばすにも努力が必要です。
例えば、絵や音楽にも、生まれ持った才能があるでしょう。スポーツもそうです。それらの才能があるかどうかは、やってみないと分かりません。また、かなり努力してこそ、見つかることもあります。
ですから、数学は練習すればできるようになるのではありません。練習しないことには、できるようにはならない。しかし、練習しても、できるとは限らないが正解でしょう。
そして、絵や音楽や運動に関しては、全員がそれをつきつめてする必要はありません。一方、勉強に関しては、学校の進級、入試など人生に関わり、多くの人が避けられません。そこが大きな違いです。
進級するために、定期テストはできないといけない。また、数学が入試科目の1つにあり、ある程度点数を取らないといけない。など、程度の差こそあれ、完全に逃げられません。
才能は1種類ではない
一言で才能といっても、様々です。
例えば、多くの人は、小学校の算数なら、教科書レベルの計算問題や文章題は、簡単に解けます。それと同じように高校数学を、あっさりと解く天才的な人もいます。その人にパターンがどうこうとか無関係です。
計算処理を精密に合わせることができる。
公式や解き方を暗記できる。
覚えたパターンの応用がうまくできる。
図形の感覚が優れている。
論理的思考ができ、筋道立てて考えることができる。
など、様々な才能が絡みあい、その度合いも、人によりばらばらです。それを「才能」とくくって、「高校数学は才能だ」も「高校数学は練習(努力)」だと二元論は無意味でしょう。
個別に合わせて勉強する
結局、自分に合った勉強の仕方を探すべきです。
私もブログで、勉強の仕方を書いていますが、それは全員にあてはまることではありません。
そうだった。清水塾は「高校数学専門」と銘打っていたのを思い出しました。その割には、ブログで高校数学を取り上げる機会が少ないです。
「高校数学の勉強の仕方」を事細かく、目的別に、また学習状況に応じて、書いていこうと思い立ちます。
例えば、共通テストで、5割とる勉強と、8割とる勉強は違います。しかも、現時点で何割取れるのかにもよります。
大言壮語、大風呂敷を広げてしまった気もしますが、断続的にでも書いていきたいと思います。
