今回は「できない子はいない」です。
とある塾を舞台にしたドラマで、
「私はできない子はいないと思っている」とセリフがありました。
理想論、きれいごとで、現実はそうはいきません。
しかし…
できない子は塾のお客さん?
先のセリフを言った人は、
「できない子はお客さん」だと言います。多くの成績が振るわない子は、月謝を運んでくれると。
そして、できる生徒に力を注ぎ込み、いい学校に合格して塾の実績を作ると。
塾はボランティアではなく営利を求める企業です。言い方はともかく、それが現実です。
昔、勤めていた塾でも、同じようなことを何度か聞きます。
一斉授業の場合、一定の割合で「お客さん」は存在します。塾の授業を受けても、あまり成果はなくすわっているだけ。その生徒が塾の経営を支えてもいます。
それではいけないと、個別指導が増えたり、塾も様々な形態をとります。
当塾も、実際に演習することで「お客さん」を作らないようにします。
しかし…
それは現実では大甘な考えです。
生徒思いの甘い考えの講師
そして、先のセリフを投げかけられた塾講師がいます。その人は生徒思いで、一人一人を見てあげようとします。
そして、「お客さん」ということばに猛反発します。
でも、現実には…
内心では「この生徒たちはできない子たち」だと思い、レッテルを貼ってしまいます。理想論的によく見て上げようといいながら、塾の責務を果たせていません。
子どもたちの個性といいながら、一律に見て、実は一人一人を見ていません。
成果を出す具体的な方策もとれません。
できないと思い教えてもできない
そして、実は内心、この子はできないと思っています。
いやいやそんなことはないと反論します。しかし、できるとは思っていない。
いくら教えてもできない、難しい問題はできない、成績は上がらないと、知らず知らずのうちにブレーキをかけます。
塾で、少しでもできるようにする。この「少しでも」が微妙に歯止めになります。
できるようにする方策を示す
そして、お客さんと言った人は、この「できない子たち」をどうやって伸ばすか示します。
例えば、模試で難しい問題を捨てる。前半の問題だけ解き、後半は全く見ません。
すると、偏差値が上がります。
これは、私も実践しています。高校入試の数学で、生徒によっては解く問題を指定します。難しい問題は見るなと言います。
また、生徒はそれぞれ能力や性格が違います。それを把握して、点数を上げるためにはどうするかを個々に提案します。
できない子をお客さんと呼んで、冷たい人間に見えます。しかし、塾としてすべきことを追求して責務を果たします。
しかし、一方優しくて甘い?講師はどうでしょうか。どんなきれいごとや理想論を口にしても、実際にすべきことができているのでしょうか。
※ あくまでもドラマの中の話です。現実とは違います。
