今回は「脱・わかりやすい説明」です。
塾が「わかりやすい」は当然です。そこで一定の評価を得ます。
しかし、この「わかりやすい」を脱する必要を感じます。
特に公立中学生ですが、全学年に通じることです。
まとめると、わかりやすく教えず成績上げろです。
塾のわかりやすいは害?
塾講師二流どまり
塾の仕事を長年していますが、
「わかりやすく教える」「ていねいに指導する」「面倒見がいい」とか当たり前のことに価値を見出し、自己満足に浸っているから二流どまりです。
いえ、三流かも。
これまで数多くの塾講師に出会いました。
成果を出せる一流の人はごくわずかです。
成果とは、成績を上げる、生徒数を増やせるです。
数少ない「一流」の人を見てきて、私は何を学んだのでしょうか。時には、お叱りを受け、指導もしていただいたのに。
そして、私自身が塾をすることで、それをより強く感じます。
「わかりやすい」「よく見る」に逃げない
わかりやすく教える、一人一人よくみるは塾として当然です。そして、それは難しくありません。
それゆえ、そこに逃げがちです。私自身今でもしがちです。そこを抜け出せないから、爆発的な成果が出せません。
合格できなくても、成績が上がらなくても…きちんと見よう。
それは裏を返せば、己の技量や熱意に自信がなく(あるいは技量そのものがない)、生徒ができると信じず、楽な方に逃げています。
少しでも上げたい。力をつけたい。そのためには何をどうすればいいか。
その苦闘から逃げるために「ていねいな」指導をします。
脱・わかりやすい説明
まずは「説明したがり」を脱する。
生徒に考えさせる、自力でできるようにする。多くは、もう一度見直せば生徒が自力で直せます。
✖だけつけて返せばいいです。
それが乱暴?印象が悪い?もちろんそうです。
全部、生徒に考えさせてむだに時間をつぶす、「自称教えない講師」も数多くいます。
生徒を一人一人見ているのか?
ていねいに説明する場面も当然あります。
しかし、ワークの解説や例題、一度解いた問題を見返せば、自力で直せる問題も数多くあります。
また、ことばの問題など答えを見ればすぐ直せる問題まで、だらだらと説明する必要はありません。
わざと「説明しない」「雑な説明にとどめる」勇気も必要です。生徒にこびて好かれようとする塾講師だらけです。
それができている「一流」の塾講師も見て知っているわけですから、いい加減脱却しないと…。
強烈な責任感と誇りと覚悟でしょうか。欠けているのは。
