今回は「叱らない指導」です。
叱らない指導
とある塾のブログで「叱らない指導」とあり、一切叱らず対話で指導するとあります。
私も、基本的には同じ考えです。
叱って(怒って) 恐怖を与えて、こちらの思い通りにするように強制的に指導は前時代的です。
生徒が自ら進んで勉強していくように、対話で方針を決めて進める。今の時代ですと、AIで分析して、何をどう勉強していくか決めていきます。
叱られたことがない、叱れない
私は古い昭和の人間です。学校や塾など勉強面、部活などスポーツで、スパルタで叱り厳しい指導は見聞きしています。
ただ、私自身は𠮟られたことがほとんどありません。そのためか「甘い」人間という自覚があり、塾でも厳しくできない、叱れない傾向があります。
そこにコンプレックスがあり、だから殻を破れない、塾講師として未熟と感じます。それは今もあります。
厳しく叱って指導できない=指導力不足
令和の時代でも、どこかでそういう意識があります。
しかし、時代が変わり、そういう厳しい指導が敬遠されます。それでも本質的な「厳しさ」は必要です。
叱るとき
塾でも叱る(注意)するときはあります。
まず、人に迷惑を与えるとき。
私語をしてうるさい時は、ほんの些細なときに即注意します。ただ、軽い注意で諭すという感じです。
声を荒げはしません。
昔はそういう場面もありましたが、今はそれが起きないように未然に防ぎます。
塾で静かに勉強するのは当然。私語は小さい時に小さい注意で潰します。
本当に叱るのは、宿題をしてないとき、テストを覚えていないとき。
これは緊急を要します。そこをしないと勉強ができず大変なことになります。命に係わると言っても大げさではありません。
そこで、緩やかな対話では治りません。ずるずるいきます。別に叱られないんだと。
緊張感を与えてすべきことはすると。
また、授業中明らかにやる気がないときは、叱るを超えて、ひとこと塾に来なくていいと家に帰します。
その後、塾をどうするかは自分で考えて決めろと。こっちの方がきついかも。
対話で指導
「叱る」と言いましたが、基本的には「対話」です。
声の調子や言い方の問題です。
ネットなどでは、「叱らない指導」「ほめる指導」の弊害も盛んに言われています。
叱られず育った身としては、まあ甘いのかなと感じはします。いい言い方をすれば、優しい。
勤めた塾で、パワハラ気味に指導されて、苦しみ退職した経験があります。
そういう経験が少なく、打たれ弱かったです。自分がだめなのだと卑下して、行き詰ってしまいます。結局、その塾にも迷惑を与えてしまいます。
その経験も踏まえて、一方的に叱るのは逆効果だと思います。
「叱らない指導」は良いのですが、代わりに「対話の指導」を密にすべきです。叱っておさえつけるは簡単ですし、一定の効果はあります。でも、トラウマに残り委縮することもあります。
