教室を潰す(回顧)

教室を潰す(回顧)

今回は「教室を潰す(回顧)」です。

もう20年近くも昔のことです。

当時の自分の酷さを思い出し、反省と懺悔です。

暗黒?の十年

25歳~30台後半までの十数年、私はとある塾に勤めていました。

公立小中学生対象の一斉指導塾です。当時は、一斉が定番でした。小中規模の一斉指導塾が数多くありました。

その間、私は「授業おたく」で、生徒を増やす営業面は意識ゼロ。

1つの教室を、私一人でほぼ任せてもらい、信頼されます。しかし、そこに甘えて、大きく勘違い、意識も低く教室を潰してしまいます。

当時の塾長には本当に申し訳ないです。

生徒を無視した授業おたく

とにかくいい授業をする。そのことを追求します。

一斉授業をいかにうまくするか。その技術をつきつめます。

ただし、自己流です。一人で試行錯誤します。

当時は、ネットも動画もなく、本で勉強しました。学校の先生向けの授業技術書です。

ずっと一人で試行錯誤です。

また、教材作成に莫大な時間かけて、膨大なプリント作成します。

生徒少ないのに、あくまでも一斉授業にこだわります。もっと一人一人見るべき、見れるのに、自己満足です。

そこそこ授業はうまくなりました。次に勤めた塾で「十年選手の匂いする」と言われます。独りよがりの自己満足講師なだけです。

 

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生徒を増やす意識なし

十年近く、小学校の近く田んぼの真ん中の平屋でします。

考えてみれば、今の当塾と似てますね。民家、平屋、ワンオペ。ただ、指導の方法は違います。

その間、生徒は30人少々。無茶苦茶少ないです。中学生1学年10人もいません。1学年3人とかもざらにありました。

しかし、私は生徒が少ないと危機感もなく、授業に専念します。

集客とか全くしてない…信じられない。年に何回か新聞折り込みしてたくらい。まあ、当時は問い合わせはそこそこありました。

ホームページもなし。まあ、当時はそれが普通。

教室を移転

そして、教室を移転します。

どこに教室出すかとか、集客をどうするかとか…考えた記憶ないです。

30歳過ぎて情けない。毎月給料もらえるから安心して、意識が低すぎます。

まあ酷かったですね。

チラシはポスティングするとなりましたが、私は乗り気でありません。配らず捨てました。とんでもない…。

教室の外観汚くて、注意されたことあります。あんなに信頼してもらって、好きにさせてもらったのに。

生徒は多少増えます。それでも、一番多くて40人。それではダメだという、経営的な感覚は皆無です。

月謝収入計算して、そこから私の給料、家賃など出てプラス…とかのレベルです。

そんなわけありません。今なら分かります。

そして、私はやる気を失います。塾長からは、もう一度やり直すかと言ってもらいますが、退職します。

私が退職後、教室は閉鎖します。生徒いるし、何で?と当時は思います。

今の自分なら…

当時の若さで、今の自分なら…と考えてしまいます。

一斉とか個別にこだわらず柔軟に対応したでしょう。

当然ですが、集客にも力を入れます。

ただ、時代が違って状況が違いますね。

当時隆盛を誇った一斉塾は、数を大きく減らします。

 

つまらない昔話はここまでにして、前を向かなければいけません。

白紙に戻りましたが、いずれ教室はテナントへ移転します。

当時と状況が似ています。平屋からテナントへ。

また、当時の自分はひどいですが、今現在も30人そこそこで生徒数は少ないです。

それに、当時は若くパワーもありました。今は…

しかも、移転候補先が、先ほどの平屋の教室のすぐ近くです。何か因縁を感じます。

当時のリベンジを果たしたいですね。