授業力を追い求めた頃②

今回は「授業力を追い求めた頃②」です。

さて、前回、公立小中学生一斉授業にはまり、独りよがりで自己満足に陥ります。

問題だったのは、自分一人で突き詰めようとしたところ。そのため、煮詰まり行き詰まってしまいます。

そして、何よりも生徒が40人程度しか集められない事実。もっと他にすべきことがあったと、後悔しています。

それくらいの人数では、一斉授業の塾としては成立しません。しかも十数年もしてそれでは…。結局、私が退職後教室は閉めることになります。

前回👇

授業力を追い求めた頃①

一斉授業の技量はどうだったのか?

さて、その突き詰めた一斉授業の技量はどうだったのでしょうか。

その後、他の塾へ行くことで、その答えが出されます。

癖が強いんじゃあ

一時は塾の仕事をやめようとします。

それも当然でしょう。完全に自信を失います。狭い教室に一人でこもり、それで生徒が集まるわけがありません。

当時は、公立小中学生の一斉塾が主流で、40人程度とか論外です。また、途中からやる気をなくして、適当にしていましたし。

授業さえすればいいと、今からすると信じられません。

そして、別の塾に就職します。小さい塾ですが、企業的な取り組みでかなりきちんとしていました。

そこで、私は中学生の一斉授業をします。

「確かに十年選手の雰囲気はある」

これは、低い評価だと悟ります。そして、癖が強すぎて、直さずにいくと言われました。まあ、本当に異質で自己流過ぎました。

そのあとの授業では、再三に渡り叱られます。

学生バイトよりひどい、この教え方も知らないのかなど。今思えば、パワハラ気味でした。その塾の価値観であって、納得はできませんでした。

その時の授業は、企業風でがちがちのマニュアル授業でした。非常に整備されて、成果も出るいい授業ですが、癖の強い私はつまらなかったです。

評価が真っ二つに割れる

さて、塾の採用面談では、模擬授業を課せられることがあります。

ほぼ同時期に、2つの塾で模擬授業をしました。

まず、A塾では、面接担当3人の先生の前で授業をします。中2数学一次関数の導入というべたなお題です。

面接担当の先生を生徒に見立てて、双方向のやりとりまでしますが、苦笑いで空気が悪くなります。

そして、授業後…

「早口ですね。そういうアプローチもありますね…。」低評価ですね。

早口なのはわかっていました。ただ、何か上から目線で不快でした。そのあと、反論して場を凍らせましたが、なぜか採用されます。辞退しました、はい。

そして、B塾。中学生の理科だったと思います。

評価は大絶賛。今まで見た中で5本の指に入る。生徒へのアプローチがよく、生徒も良かったと。

あれ?

先の塾と評価が全く違うんですけど。あと、そんなに絶賛されるスキルないです。

そこで私は悟ります。そうか、塾によって全く基準が違うんだと。ばからしく感じて、それまでこだわっていたものが消えました。

そうか、本当にすべきことは違うんだと。40で気づくとは…

塾講師の模擬授業大会

また、勤めていた塾では、研修として外部との交流を積極的に行っていました。

内にこもる私には、貴重な経験でした。

その一つに、塾講師の模擬授業大会がありました。参加したのは別の同僚で、私は見学でしたが、非常に面白く有意義でした。

お題は、やはり数学は中2一次関数の導入。私自身も、マニアのように試行錯誤を繰り返したところです。

様々なパフォーマンスがあり、会場は大盛り上がりでした。私も参加したかったですね。

まあ、単なるイベントですが、刺激になります。そして、独りよがりの解消にもなります。

今現在、塾は個別指導塾が主流ですが、こういう一斉授業もいいですね。また、個別指導の経験もありますが、一斉授業をしておいて良かったです。

十数年間、1日40分のコマを5コマ、講習中は朝から夜まで10コマ以上しました。通算で、何千、いや1万以上の授業をしてきました。

でも、だから何?という感じです。塾講師として生き抜くには、他にもいくつもの必要なことがあり、それをせず激しく後悔しています。

私の中で勝手に「失われた十数年」と呼んでいます。

授業よりも生徒

自己満足の授業をパフォーマンスでして、目の前の生徒を置き去りにしていました。

誰のための塾かということですね。

それに、突き詰めたはずの一斉授業は、塾によって正解はバラバラです。

そして、偏った変な中年塾講師が残ったというわけです。

さらに時を経て、個別、集団、巡回型、自立型、自習型など、様々な指導を体感して今にいたります。

一斉授業で気合い入れるより、生徒が実際に解いた方がいいじゃんとなります。しかし、一斉での強制力は必要です。特に中学生には。

 

ということで、またあの時の一斉授業をしたいなと懐かしんでいます。ある意味、いい時代でした。