叱れない?

叱れない?

 

今回は「叱れない?」です。

塾で指導する時、厳しく指導すべき。それができないのは自分が自分に甘い。生徒を叱れないから、伸びない、伸ばせない。生徒になめられるから塾が成立しない。

…といった考えに支配されているように思います。このブログでも、何度か「厳しい指導」などとりあげてきました。

特に中学生に対してです。これは、難しい年代というのと、塾では多くの生徒を対象としているからもあります。

厳しい塾①

 

昭和的な厳しい指導

例えば、中学生の一斉指導塾で生徒を集めている塾は例外なく「厳しい塾」です。

私がこれまで勤めてきた塾、見聞きしてきた塾すべてそうです。

逆に、甘い塾は生徒が集まりません。どんなにきれいごとを言っても、現実はそうです。

これは私自身が「甘く」「優しく」かつて、生徒を集められなかった経験も踏まえています。同じように、厳しくなりきれず、生徒を管理できず生徒が集まらない塾は数多くあります。

さらに、一昔前は昭和的な高圧的スパルタ的な塾が一般的でした。ただ、時代とともに厳しさも変化しています。

前時代的なただ「きつい」塾は時代に合わなくなっていきます。

私が勤めた塾でも、令和の時代にこの厳しさ?と信じがたい塾もありました。

しかし、生徒数はかなり多くて強い信頼を得てます。それは「きつい」のではなく、温かさやユーモアや熱さを伴っています。

何が違うのだろうか

ただ厳しいだけ、表面的に抑えつけても生徒はついてきません。しかし、一方でかなり厳しいのに生徒は多く成果も出ます。

何が違うのでしょうか?

ここで、逆に厳しくない塾も多くあります。いえ、それが今のはやりというか主流とさえ言えます。

「ほめてのばす」「楽しく勉強する」「生徒によりそう」といったキャッチフレーズでしょうか。

ただ、実際の指導や塾の雰囲気などは様々です。生徒の言うがままにまかせて、甘やかして崩壊している塾もあれば、生徒としっかりコミュニケーションを取り「厳しい」塾もあります。

※  また、楽しい雰囲気で生徒とお友達で「そこそこ」の勉強をする塾も多い印象を受けます。決して批判しているわけではありません。そういう塾が必要とされれば成立します。

長年考えていることですが、結論としては「指導者が自分で自分を律することができる人かどうか」だと思います。

自分に甘い人間が、生徒を一方的に抑えつけても通用しないのでしょう。昭和ならそれが当たり前でも。

また、逆に自分に厳しい信念を持った人なら、生徒にやさしく接しながら成果を出せるのでは。結局は塾ですべき仕事をまっとうするわけですから。

そういうところは、特に多感な中学生には一発で見抜かれるのでしょう。

厳しい指導はパワハラ

先程の勤めていた塾は、中学生に「パワハラ塾」と呼ばれていました。また、講師もよく辞めていました。私も衝突して退職しました。

ただ、最後はいろいろと変えようとされていて、力になれず悔いが残ります。

私自身も甘いですが、昭和の人間ですし、勤めてきたいくつもの塾の厳しさを肌で実感しています。そして、厳しくないと塾が成立しないと刷り込まれています。

しかし、生徒たちは打たれ弱いです。少しきつく言うとハラスメントとなり、それで塾に行きたくない、塾をやめるとなります。

他の生徒と比較すると、それは嫌だとなりクレームがきます。

宿題をしない、覚えてこないと、以前なら怒鳴りつけていました。今は話をして注意をして改善します。

自分で自分を律する

かのイチローさんのことばで

「今の高校生たちが置かれている状況は酷です。いわゆる昭和的な厳しい指導はハラスメントや体罰とされ、もはや時代遅れとされます。しかし、これが必ずしもいいとは言えません。誰かが厳しく律してくれないと、自分で律する必要があるからです。」

以前ならば、自分で自分を律することができなくても、厳しい指導である程度のところまで引き上げてもらえた。しかし、今は自分で上がらなくてはいけません。

ただ、行き過ぎた指導は弊害も多かったです。それは塾でも同じです。中学生に大量を宿題を課して、それを機械的に大量に答え合わせをして…

私自身は、厳しい指導をすべきだという考えは変わりません。それは塾ですべき責務があるからです。

その信念と強烈な誇りと熱意が足りてなかったのではないか。そう今の令和の時代だからこそ気づいたように感じます。