ほめてのばす・改

ほめてのばす・改

 

今回は「ほめてのばす・改」です。

正直言って、私は「ほめてのばす」には懐疑的です。昭和的な古い人間なんで、厳しく指導すべきだと思っています。

以前に書いた記事です👇

ほめてのばす

 

しかし、実際には、私は甘く厳しさに欠けます。皮肉にもけっこう生徒をほめます。それで伸ばすという意識はありませんが、必要なことなのでしょう。

この令和の時代「ほめてのばす」が主流なのかも知れません。

そこでネットや動画などで色々調べてみました。

「ほめてのばす」肯定vs否定

ということで「ほめてのばす 塾」で検索してみました。

ほめてのばすをうたい文句にする塾はかなり多いですね。まさしく令和です。

その一方で、多くの塾関係者のブログで取りあげられています。私も同じようにブログで書いていて、記事にしやすいのでしょう。

そして、けっこうな割合で否定派が占めます。残りは生徒に合わせて指導の仕方を変えるべきという中間派でしょうか。しかし、肯定派が少ないです。

私もどっちかというと否定派です。すると、検索の2ページ目に私の前回のブログが出てきて驚きました。

肯定派

ほめる→やる気になる、勉強が楽しくなる→わかる。と良い循環になります。

そして、やればできそうだと感じる→やってみてできる→成績が上がる。非常にいいことですね。

この流れの指導は、私も無意識にしています。

厳しく抑えつけて指導すると、精神的にきつく勉強が嫌になる。やる気も出ず分からない、塾に行くのも嫌になる。と負のループに入ります。

自己肯定感が弱い生徒だと打たれ弱く、勉強に気持ちが向かいません。

否定派

そんな甘いことを言っていたのでは、できるようにならない。

塾で強制的に引っ張っていくべきだと。ほめて伸ばすを完全に否定する意見も多く見られます。良くない影響を与えるとも。

実際に現場で指導する立場としては、ものすごくよく分かります。特に、中学生は勉強をさぼろうとします。それをいいよいいよと甘やかしては成果も上がりません。

しんどくてもきつい勉強をすべき…ただ、その時の接し方や言葉のかけかたはまた別だとも感じます。

コミュニケーションの一環

例えば、ひとことよくできたねと言う。〇をつけるとき、「100点」「good」と書いてそえる。

励まして、できたことを確認して(認めて)、できるように導きます。

ほめるのは、生徒を励まし期待する気持ちから生まれます。

一方で、怠けている、宿題をしてこない、覚えてこない、私語をする、トイレにこもる…などといったことには厳しく叱るべきです。

「ほめてのばす」はコミュニケーションの一環だと思います。

そのことばの例ですと…

✕「違う」「間違ってる」→  〇「惜しい」「もう少し」

✕「何でこんな問題も分からないのか?」→ 〇「一緒に考えてみようか」

✕「(10問中)2問しかできていない」→ 〇「2問もできている!!」

何かすごく気を使っているような…。2つめはそもそも禁句ですし。

時と場合による

こういう議論だと、100か0の二元論になりがちですが、もちろん時と場合によります。

検索して調べた中で、なるほどと思ったことを取りあげます。

小学生→ほめて伸びる場合が多い。まず、楽しく勉強すること。勉強の習慣をつけること。

中学生→感受性が豊かな時期。ほめると叱るをうまく使い分ける。

高校生→一個人として対等に接する。諭すように接する。

なるほど。