合格できなくてもよく見る

合格できなくてもよく見る

今回は「合格できなくてもよく見る」です。

昔、勤めていた塾で、上から言われた言葉です。

いまだに少し引っかかっています。

聞いた瞬間に感じたこと

当時、私は高校部の責任者で、これを聞いたとき強い違和感がありました。

まず、合格させる力がないと思われているのかと。それは私だけでなく、前任の時から、正しく見られていました。

そこは、大学の合格実績はいいとは言えませんでした。

教務力がない分、しっかり面倒を見ていい印象を与える?

まずは、合格できるだけの教務が先だろうと思います。

それは、すなわち責任者である私がそう見られているということです。

そして、偏屈な私は、ひねくれて受け止めます。

人として大事に接する

しかし、素直に考えれば、生徒を親身になってしっかり見るようにということです。

塾としては当然のことです。

つまり、勉強を教えるだけでなく、コミュケーションをとり大事にする。私を含めて、塾講師には欠けていることです。

また、サービス業としても当然です。

生身の人間が相手です。機械に打ち込むように、指導して詰め込むだけではいけません。

よくしてくれたと感じさせる

ちょっと言い方が悪いですが、よくしてもらったと感じさせる…いや、感じてもらうでしょうか。生徒だけでなく保護者にもです。

合格はできなかったが、よく勉強を見てもらえたと言っていただくように。

これは、私も同じ言葉をいただきましたが、不合格は塾の責任で辛かったです。

合格かどうかの結果がすべて。そこに至る経過よりも。この考えが良くないのですね。

合格がすべて?

 

面倒見のいい塾

とある生徒を親身によく見て、そのつながりで入塾。

勤めていた塾のLINEでそれが回ってきました。

いいことなんですが、それをすばらしいと絶賛。何人かが付け足します。

これも、ひねくれた私は違和感。

何かあやしい宗教かよとすら思います。常々アットホームをうたう塾で、私はなじめませんでした。

正直、教務面は弱かったです。生徒は多かったですが。

もちろん、教務をおろそかにしているわけではありません。そこそこの実績も出しています。

言い方の問題かも…

合格できるようによく見るでしょうか。