ペーパーテスト至上主義

ペーパーテスト至上主義

今回は「ペーパーテスト至上主義」です。

悪しき偏差値教育

私の学生時代、もう30年も40年以上前、「受験戦争」「偏差値主義」など入試の競争が激しいと言われていました。

同学年に200万人以上いて、小中学校は1クラス40人50人が何クラスもありました。数字上で入試の競争は厳しかったです。

もっとも、さらに前の世代は、より競争が激しく「四当五落」(1日の睡眠時間が4時間で合格、5時間で落ちる) という言葉もありました。

共通一次からセンター試験へ変わるときです。その時点で、様々な弊害が起きます。

社会的にかなり批判的な考えが多く、この教育を改めるべきと言われます。そして、長年にわたって指導要綱の変更など多くの方が尽力されます。

センター試験から共通テストへ

そして、ゆとり教育となり、これは行き過ぎたかと揺り戻しがあります。さらに、今現在、教育制度は変わり、入試も大きく変わります。

共通テスト時代です。これまでの暗記、処理能力を問うのでなく、思考力や表現力を問う方向へ変わります。

実際に、大学入試では一般入試よりも推薦・総合型選抜での入学が多くなりました。

1回のペーパーテストが公平?

しかし、昔が良かったと懐古主義の考えも見られます。入試はペーパーテスト1回で決めるべき。その方が公平であると。

それを聞いてなるほどなと思いました。

推薦入試や総合型選抜入試での選抜方式があいまいであると。

面接、作文、小論文、ディスカッションなど、点数化の基準がはっきりしていない。また、それ以前の、学校での評定、内申点のつけ方も。

それに対して、入試でのペーパーテスト1回の点数は、誰にでも公平で、合否の基準も明確です。確かに。

揺り戻し?昔は良かった?

何事も、昔は良かったと揺り戻しはあります。ゆとり教育もそうでした。その結果、前より学習内容が増えます。

また、昭和は良かったとも。いやいや、今の方が便利で快適でいいです。実際に過ごした身として、当時は結構混沌として大変でした。

大学入試でもそうです。超詰めこみで、ペーパーテストで判断されます。受験ゲームで勝つ能力は、暗記と計算など処理能力など限定的なものです。

※  現在の入試は、昔よりも「思考力」が必要です。

その昔が良かったという人は、多くがその偏差値教育の勝者です。喉元過ぎれば…でひどかったことは忘れています。

結局は、詰めこみがベストとなります。

それは正しいです。今現在の入試は、まだそんなに劇的に変わっていません。

年寄りには早く引退していただいて(私も含めて)、若い世代で変えて欲しいですね。

ペーパーテストは公平でない

テストの点数で合否を決めて公平。

それを聞いて、確かにそうだなと思いました。

しかし…

それは、ただ分かりやすいだけだろうと思い直します。

合格点に足りなかったから、あなたは不合格と言われれば納得するだけです。

それが、面接や小論文などだと、点数の決め方に疑念がわきます。採点基準は?点数どうにでもできそうとか。でも、点数化すれば同じでは?

しかし、ペーパーテストの問題の基準は?

採点基準もどうにでもできるし、配点にもよります。文章問題は採点があいまい?

じゃあ、マーク式のテストが一番公平?

そういうテストに長ける人間だけが合格してしまう。この多様性の時代に、そんな狭いテストでいいのか。

面接、作文、小論文でわかる

塾で、作文、小論文の指導、添削もしますが、文章見ればその子の学力が分かります。また、人となりも見えます。

もちろん、塾で書き方を指導して、入試で「点数」が取れるようにします。それでも、根本は変わらず、ごまかしがきかないです。

今年度、愛媛県立高校入試で特色入試が始まりました。初年度ということもあり、倍率が高く難しかったです。

その合否や色々な話を聞くと、「人間力」が強い子が合格しています。わかりやすく言うと、しっかりしているでしょうか。

ですから、特色入試では、作文・小論文の小手先の技術(それもまあまあ影響しますが)、人として成長することを目指すべきかと感じます。

ペーパーテストだけでなく、合否の判断はできるのでは。

現状はまだ、ペーパーテスト至上主義

とはいえ、まだ過渡期です。

ここまでは、単なる私見であって、塾講師の立場で偉そうに言っても無意味です。

目の前の学習、テスト、入試に対応していくのみです。

過渡期で難しい面もあります。

少し落ち着きましたが、数学では太郎君と花子さん、先生が会話してます。

愛媛県立高校入試でも、大問一つがそんな感じです。

共通テストの化学の最後の大問は、何を聞かれて、何の力が必要とされているのかと感じます。

「思考力」って何?と最近よく考えます。